3月はお世話になった方々を続けて見送りました。
22日に亡くなられたグラフィックデザイナー・装丁家の平野甲賀さんについて書きます。
平野甲賀さんには、2008年に高橋悠治さんとの共演が始まった時に紹介され、神楽坂のシアターイワトや神田のスタジオイワトで、たびたびご一緒させていただきました。
そして悠治さんとのCD「風ぐるま」のロゴ、たくさんのコンサート・フライアー。
私は、甲賀さんのお仕事もさることながら、纏っていらした人体としての空気がとても好きでした。悠治さん作曲の「長谷川四郎の猫の歌」は、甲賀さんがモデルだそうです。
お会いした回数は多くなかったのですが、印象的な会話が時折ありました。
はじめてお会いした頃、悠治さんについて語られたことがあり、それは短く、かつ、とことんあたたかい言葉で、
「友人たちからこんなふうに思われる、高橋悠治という人は、一体」
とぼうっとしたのを覚えています。
そのように友人を語れる平野甲賀という人間の魅力にも。
武蔵野美大での「平野甲賀の仕事展」の際、なぜか白羽の矢が飛んで来て、カタログへの寄稿を依頼されました。
専門的なことは何もわからないので、いつも甲賀さんの描き文字に触れる時の印象を言葉にし、恐る恐る提出。
甲賀さん、公子さんご夫妻が、「こういう ”変な” 文がね、欲しかった!」と喜んでくださったので、追悼の気持ちを込めて、ここに掲載いたします。
甲賀さん、不思議な楽しい時間をありがとうございました。
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文字のサウンド
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からからからから という時もあるし、
SHRRRRRRRRRn の時も。
平野甲賀の描き文字から聞えてきた音を、ほんの一部、あげてみた。
文字から音が鳴っている。
それは大抵、耳にしたことのない、知らない楽器の音だ。
楽器、とも限らない。
音源不明の響き。
しん と静かな音がしている時もある。
そうかと思えば、アーティキュレーションも小気味好い、
小股の切れ上がった旋律が聞えることも。
不思議なことに、甲賀文字からは誰かが読むように声が聞こえてきたことはない。なにが不思議かというと、文章・テロップ・吊り広告、なんでも文字が目に入るとわたしは、声を発するものとして文字を“聞いて”しまうからだ。それぞれの文字は固有の声を持っている存在であって、人に性格があるように、フォントには声格、話格があるのだ。
明朝、ゴシック、勘亭流___同じ単語や文章でも字体が変わると、声の高さ、息の直径、湿度、話す速度が違って見える。本屋で平積みされている表紙の群れを眺めていると、色んな声がタイトルや帯の文をつぶやいている。
甲賀文字は声を出さない。
ずらりと並んだ本やチラシ。文字のざわめきの中に甲賀文字がいると、風変わりな音が混じるのが聞こえてきて、「目」がそばだつ。
わたしは初めての甲賀文字を目にするとかならず、
そろり と紙面を撫でてしまう。
不思議な音のする楽器には、つい手を触れたくなる。 波多野睦美
<平野甲賀の仕事展 1964-2013>カタログより___