プログラム

*ダウランド アンド カンパニイのFBに載せられたものに手を入れています*

ある俳句の本を読んでいたら「夏は日本人にとって喪の季節」とあった。それを意識したわけではないし、ダウランドを歌っても、シューベルトを歌っても常に《夜・眠り・死》という言葉に惹かれるが、今週7月20日のプログラムもそうなった。

中田喜直(詩:壺田花子)の「ねむの花」

谷川賢作(詩:谷川俊太郎)の「よるのようちえん」「ぴあの」

高橋悠治(詩:長谷川四郎)の「長谷川四郎の猫の歌」全曲

間宮芳生(詩:日本民謡)の「日本民謡集」第4集より

寺嶋陸也(詩:茨木のり子)の歌曲集「道しるべ」全曲

選曲は、音から入る場合と、詩から入る場合、あるいは同時に、とあるが今回は詩から入ったものが多い。茨木のり子は特に「道しるべ」という詩を歌いたくて選んだ。歌曲集の中には季節外れの詩もあるので少し迷ったが、やはり全曲やりたくなった。

これまで出会った日本語の歌で、会った瞬間!感電したのは、高橋悠治さんの「むすびのうた」。CD「ゆめのよる」に収録した、長谷川四郎の詩による短い歌だ。

アルバムの曲を考えていた時に、中世フランス〜サティ〜高橋悠治 という流れが浮かんできた。

「むすびのうた」は詩も音も饒舌ではなく、あっという間に終わるのに、目に見えない層が幾重にも感じられる曲。
手触りが木材の感じの時もあれば、織物の時もある。
虹のように七色の日もあれば、三色の日、あるいは九重の時もあり。そういえば虹は、国によって何色で表現されるかが違うそうだ。

今回歌う「長谷川四郎の猫の歌」は、言葉も音も、初めて歌った頃と全く違ってこちらに響く。

 

《冬の旅》のリハーサルを高橋悠治さんと初めて行った時、「ミュラーのこの詩はハムレットだね」とつぶやくのを聞いた。第20曲「Der Wegweiser 道しるべ」。その終わりの部分が、ハムレットの独白につながる、と。

寺嶋陸也さんの歌曲集「道しるべ」、楽譜の冒頭にはこのように書かれてある。

「茨木のり子の多くの詩の中から7つを選びましたが、黒田三郎を追悼して書かれた「道しるべ」をもって曲集のタイトルとしました。詩人が意識していたかどうかはわかりませんが、引き返せない道にかかる「道しるべ」を歌ったミュラーの詩によるシューベルトの「冬の旅」の中の同名の曲を、その曲の中で引用しています_寺嶋陸也」

2015年から《冬の旅》とずっと一緒に歩いている気分だ。

今回のコンサートでは、シェイクスピア〜 ミュラー〜 茨木のり子 という流れにさそわれました。

 

日本語を歌う(4)ん?

<このブログは、一声楽家が色々な歌を歌う際に試行錯誤してきたことを書いているものです。よって、音声学その他専門家から見ると間違っていることも多々あるかと思いますが、あくまで「歌うために」それもホールでマイクを使わずに歌うことを前提としています。参考にしてみよう、と思ってくださる方はそこを十分に理解した上でトライしてみてください>

以上、蛇足文でした!

さて、前回に続き、ひらがなについてです。

日本語の歌の発音がうまくいかないときは、どうするか。

「外国の人に説明するように、自分に向かって説明してみて」

と自分にも他人にもアドヴァイスします。

発音に興味がある人でなければ、日頃なんの気なしにしゃべっている言葉を、わかりやすく人に説明するのは難しい。

かのイチローも言っています。

<無意識にやっていることを、意識しなければ>

五十音の中で最も謎なものは、「ん」。こう書いても、不思議な文字です。漢字がひらがなに変化する「変体仮名」を、書道の稽古で少しずつ練習していますが、「ん」の元は「无」だそうです。なんでしょう?これは?という漢字です。

それはさておき、中学校で合唱を始めた頃、ハミングというものが意外にやりにくいなあと感じました。そして「ん」が出てくると、これは口を閉じるのか閉じないのか?どちらにしても、もぞもぞするなあと思いながら歌っていました。謎を解いてくれたのは東京に出て来てからの電車生活。駅名のアルファベットを観察するようになってからです。

新宿 / 新橋

2つの駅の表示では「ん」のアルファベットをちゃんと変えてあります。新宿はn、新橋はmです。

歌うときにこれらの意識がなぜ必要かと言うと、音符の中のどこで「ん」となるか、これが意外にトリッキーだからなのです。喋るときには意識にとどまらない速さで通り過ぎるのですが。

試しに「赤とんぼ」を歌ってみると、不思議具合がわかります。

音符1個を占領する「ん」の発音は、欧米人にはなんとも不思議〜な、謎の物体X、なのだそうです。

日本語を歌う(3)子音は調和

英語の子音レッスンで最も時間をかけるのは「h」です。

how、he、headなどはまだいいのですが、whoが困りもの。Wがついているからではありません。辞書を引くと発音記号には「hu:」とあります。そこで、

「ハヒフの『フー』ですね!」

と発音してしまうと、英語とは全く違う子音になってしまう。口蓋を柔らかくこするhの子音にuの母音が連なるのがwhoです。イギリス人の発音するwhoには、独特のuの母音と相まって、英国の香りが充満。

さて、日本語の「ハ行」においては「ふ」だけ息の当たる場所が違います。ハヒヘホでは、口蓋のほぼ同じ位置に息を当てるのに対して、「ふ」は唇の内側に当てる。hでもfでもない位置です。

つまり種類の異なる子音が、五十音での同じ「行」に入っている。この厄介な現象はサ行、タ行にも存在し、特にタ行に至っては子音が3種類。カタカナで外国語をとらえると危ないのは、この子音の混ざり具合に一因があると思います。

日本語は喋ることができるだけに「歌えていないと、自分でわかる」という辛さがあります。「あーあ、これじゃ日本語に聞こえない」と思いながら歌うのはストレスがたまります。

しかも、「聞こえすぎると、変ですね」と言われるのが日本の子音。20数年前初めてカザルスホールでリサイタルを主催した時に歌った日本歌曲、そのアンケートの中に今も心に刻む一文がありました。

「城ヶ島の雨の『あめ』、mが強すぎて気になった」

そりゃあ、雨を「あんめ」とは、聞きたくないですよねー・・・。

子音の発音にはテクストの持つ意味、音域、共演楽器との音量バランス、そして本番でのホールの残響など様々な「さじ加減」が必要とされます。いろんな曲を歌いたい歌手としては、和のスプーン、英の匙など各種取り揃えてみたく、精進中です。

英語で子音は「consonant」。

語源はラテン語で「調和する(音)」。

日本語では、母の音ー子の音。 東西の違いかな?

 

日本語を歌う(2)道しるべ

入梅です。起き抜けの書道タイムがより楽しくなってきました。湿度が上がると墨の香りも高くなる。朝の墨事という気分です。そんな言葉あるのかな?

小学生の頃から小筆で仮名文字を書くのが好きでしたが、書道の稽古はほとんど大筆での漢字。そのうっぷんを晴らそうと中学1年生の冬休み、自由研究として百人一首の小筆書きを思い立ちました。巻紙に憧れていたので、母に障子紙を一巻買ってもらい、それにひたすら百首書いた。紙はかなりの長さになり、提出時にはくるくる巻いたので担任の先生が「?これは?」と不思議がっていました。

今も墨をするとまず、百人一首から書きます。持統天皇、伊勢大輔、和泉式部etc、女性の歌人が多い。最近では感覚や気分を文字にする、なんてこともあり、おや?これは日記といふものかいな?と自笑。

茨木のり子の詩を、来月歌う。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて」_自分の感受性くらい

厳しくて強い。でも冷たくない。詩人が自分自身に向けている言葉だとわかっていても、矛先がこちらを向いてきます。この詩は、墨で書くだけで背筋が伸びる。歌いたいと思ったきっかけは「道しるべ」という詩。

昨日できたことが

今日はもうできない

あなたの書いた詩の二行

・・・・略

だれもが通って行った道

だれもが通って行く道

だれもが自分だけは別と思いながら行く道

ハムレットの「To be, or not to be」で始まる長いモノローグに、同じフレーズが出てきます。松岡和子さんの訳では「旅立った者は二度と戻ってこない未知の国」。ハムレットに通じる詩はもう1つあって、「木の実」という作品。髑髏のことを歌った歌です。

寺嶋陸也さん作曲、7編からなる「茨木のり子の詩による歌曲集」。

平安の歌人たちからパワーをもらいつつ、詩を声にする練習をしています。

【7月20日14時開演 オペラシティ・リサイタルホール】

日本語を歌う(1)増田明美さんの声

朝ドラ「ひよっこ」にはまってます。私が生まれた昭和39年ごろに物語が始まることもあって、調度品や小物(花柄)洋服(ストライプ)食器(ガラス)などツボがありすぎ。

そして少なめに入るナレーションが好きです。増田明美さんの語り口がいいんです。マラソン試合の実況放送でも定評のある増田明美さん。実況の際は何を心がけますか?とインタビューされていたときに、

「試合の後ビデオを観る選手の励みになれれば」

と言っていました。ご自身が現役の頃、試合の “後に” 傷つくことが多かったからだそうです。今回のドラマは集団就職で東京に働きに出た子たちの話なので、ナレーションも応援モード。温かい。

増田さんは常に高めの「裏声」の位置でしゃべっています。丸く、角がない。でもだから温かい、とは限らない。裏声でも冷たく感じることはある。増田さんの場合、声の持つ目線が温かいのです。加えていつも機嫌がいい感じ。

不機嫌な雰囲気が魅力な人もいます。でも彼女の声は、たとえ怒ってもとんがらない気がする。きっと小学校高学年から、あの話し方と声は変わってないんじゃないか・・・。などとドラマの展開そっちのけで考えていたりします。

演奏する上での「共感」ということ。その難しさが、身にしみるこの頃、毎朝8時から増田明美さんのナレーションが気になります。

詩人の体、その中で


見かけは優しげなメガネの普通のおやじ。お酒は美味しそうにたっぷり召し上がり、
しかし酔っ払ってもジェントルマン。そんな時里二郎さんにお会いし、その後、彼の詩作
に触れた時はしみじみ思ったものです。
「詩人て、不思議な生き物・・・」
あの柔和でごく普通の風貌の中には、こんな言葉が詰まっていたのか!
時里作品は、見知った風景・物・生物で構成されているにも関わらず、どこかがねじれて
いるような、あるいは、透けるはずのないモノが透け、地中深くに浮いているような・・・
時里さんだけの世界です。

モノオペラ「納戸の夢 あるいは 夢のもつれ」は7年前、初めて自分から作曲家に

『作品の委嘱』をした曲です。
「レチタティーヴォ(しゃべり)とアリア(歌)の間で、声が行き来するような曲を」と
高橋悠治さんに依頼しました。あれ以降、時里さんと悠治さんの交流がはじまり、
「名井島の猫」という新しい作品も生まれました。
時里さんと悠治さん、不思議な二人のコラボレーション、ぜひ目撃ください!
(開演前に、お二人のプレトークがあります)     
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東京公演、チケット残り少なくなっています。
お早めにご予約ください!
◇風ぐるま 2016秋 「夢のもつれ 猫は聴いた 二つの物語」
11月17日(木)19:00 ムジカーザ(東京/渋谷区)
*予約:プリマ楽器ショールーム(今井)03-3866-2223
11月18日(金)19:00 ザ・フェニックスホール(大阪/北区)
*予約:ザ・フェニックスホールチケットセンター 06-6363-7999

<トリオの 3人で コンサートのことを語っています  ゆるーく・・・>

https://www.youtube.com/watch?v=p88O6vR853g

デフォルト

歌を始めたきっかけは中1の春、合唱部の響きに感電したからです。

それから高校卒業まで6年間、合唱の毎日が続きました。

特に高校ではあまりに濃い合唱生活を送ったためか、卒業と同時に
合唱と距離を置くようになってしまった。
それほど、人生の中の特別な時間だったからだと思います。
数年前、50歳になった時にもう一度合唱をしようと決意し、
女声アンサンブルの「サモスココス」を立ち上げました。
 聞き合う けれど そろえない
 体から出る声をすべて使う
イメージの底にあるのは子供の頃聞いて衝撃を受けた「ブルガリアン・ヴォイス」。
ズドン!と射抜かれた感じ。
地面から生えた樹のような、山や海を渡る風のような歌。
いつかこんな歌が歌えたら、と茫然としながら聞いていた。
子供の頃の理想を形にするのは難しい。
でも一人ではできないことも、集まれば少し近づけるかも。
それにしても、今回もすごい曲ばかり選んでしまいました。
ぜひ目撃してください!
9月28日(水)19時開演 ハクジュホール ゲスト:辻田暁(ダンス)

動いて、歌う

京都の『イケズ』について書かれた本だったと思いますが、西陣の織り子さんたちが作業をしながら歌っていた、という話を読んだことがあります。一定のメロディがあって、それに即興で歌詞をつけながら、順番にソロを回していく。親方の悪口、作業場に顔を出した人の評価、食べたいもの etc. なんでも唄にのせて会話し、笑い合っていたと。
楽しそう〜!恐そう〜!

作業唄の中には、歌にまつわる「体の動き」が響いています。
動くから歌が出てくるのか?
歌うから動くのか?
「語りと歌」について興味が尽きない私ですが、「動きと声」もまたしかり、です。大好きな「クリマトーガニ」を動きながら歌ってみたいという思いを、今年、ダンサーの辻田暁さんが形にしてくださいました。

「クリマトーガニ」は沖縄の来間島に伝わる「水汲み歌」が元の合唱曲。
日々の重労働をラブソングとして海に返していく。
明るく力強い島の女たちの歌から、演奏のたびにエネルギーをもらっています。

対して、クセナキスの「ヘレネ」は、戦乱の後に祖国から引き離された女たちの「嘆きの歌」です。削ぎ落とされた音の連なりから「魂の全てをかけて歌え」と言われているような10分間。

ぜひ、ホールで一緒に体感してください。お待ちしてます!

9月28日(水)19時開演 白寿ホール アンサンブル・サモスココス09_28

ゲスト 辻田暁(ダンス)

 

歌になって

作曲家・高橋悠治の歌ほど「詩人」と「言葉」に対する敬意を感じる音楽はない。ひとつひとつの言葉に対する丁寧で緻密な扱い。それでいて大胆。ほんのわずかのイントネーションのゆらぎも五線の上に音符となって語られている。詩人が自身で朗読しているように。

私には詩集を読むという習慣がほとんどない。詩集を手に取るのは、実際に詩人に出会った場合か、音楽がきっかけであることがほとんどだ。つまり、歌になった状態で出会う。詩集のページをめくっていくと、音楽が聞こえてくる文字に行き当たる。「あ、これは歌になっている詩だ」と気づく。その周りにはまだ音楽になっていない言葉が並んでいて、歌になった同僚をちょっとうらやんでいるような感じ。

高橋悠治の音楽を通して出会った詩人は数知れない。そのなかでも以前から気になりながら歌曲集を歌うことに迷いがあったのが、岡真史の詩による「ぼくは12歳」だ。中学1年生の夏、自ら命をたった少年の言葉。今回、共演のピアニスト廻由美子さんに「むっちゃん、曲集を全部やろうよ!」とすすめられ歌うことになった。

イギリスの歌い手と話していたとき、彼女がある人物を評して「Old Soul」と言った。岡真史の死後に編まれた詩集「ぼくは12歳」を読んでいて、その言葉が頭をめぐった。少年はOld Soulの持ち主だったように思う。瑞々しい、老いた魂。

 

心のしゅうぜんに

いちばんいいのは

自分じしんを

ちょうこくすることだ

あらけずりに

あらけずりに・・・ 『無題』より

詩の中に息づく彼の生を、高橋悠治の音が繊細に、力強く彫刻する。

【高橋悠治ソングブック】4月3日(日)16時開演 オペラシティリサイタルホール ピアノ:廻由美子

 

CD「月の沙漠」

前回のブログ更新はなんと5月ではないですか。
あれから何をやっていたのでしょう?
7月に「アンサンブル・サモスココス」の初コンサートをやり、
8月にニューヨークでブロードウェイ鑑賞三昧、
9月に新しいCD「月の沙漠〜日本のうた」をリリースしました。
ソネット・レーベルからの第3弾。

エイベックス・クラシックスから「美しい日本の歌」を出したのは、ずいぶん前のことだ。
ピアノを野平一郎さんに弾いていただいて、
 落葉松  霧と話した  さくら横ちょう
などの有名曲から、清瀬保二のしぶーい曲まで録音した。
祖母からのリクエストは「浜辺の歌」だったな。

2012年の「朝のコンサート」にバロックハープの西山まりえさんを招いて演奏した。
バロック音楽の合間に、数曲日本の歌、というプログラム。
古いハープのもつ、どこか「足りない」響きが
特に大正時代の日本の歌と呼び合う感じがしたのだ。
誤解を恐れず言うなら、古いハープの洗練されきっていない、ある種のバランスの悪さが好ましかった。
そして、開放弦が放つ独特の、のどかさ。
指盤のある弦楽器の持つ色っぽさももちろん好きだが、
木の枠に糸を張って音を出すという最もプリミティヴな構造、ここに惹かれる。

日本語を歌うのにひどく抵抗を感じていた時もあった、と思い出す。
これだけは絶対に出来ない、と避けてきたことをこの数年いろいろやっているが、
日本語での朗読もそのひとつ。
今年は、ほとんど歌わずもっぱら朗読、というステージが4種類もありました。
オーケストラ・アフィアとの、メンデルスゾーン「夏の夜の夢」
西山まりえさんとの「メアリ・スチュアート」
青柳いづみこさんとの、ドビュッシー「おもちゃ箱」
とどめに、今年最後のコンサートは鈴木優人さん+BCJと「クリスマス物語」。

再来年にはギターとの朗読の共演もありますが、それはまた先の楽しみとして!