星の地図

 国際基督教大学で授業を担当するようになって10年以上経つ。4月から6月、春学期の10週間。この時期に頭をめぐっていることを、その年のコースのテーマにする。今年は「アンサンブルとコミュニケーション」としてみた。6月のはじめに「風ぐるま」のコンサートがあり、このトリオを通して感じる何かを色んな角度から、学生達と話してみたいと思った。

 トリオのアンサンブル、といっても「風ぐるま」は編成も選曲も他に類がない。そして風ぐるまのために書かれた高橋悠治さんの音楽も、どこにもない。私にとって一番近い感覚を呼び起こす音楽は、中世の南フランスに一瞬現われた「アルス・スブティリオル」だが、悠治さんの楽譜には縦軸が存在していない。3パートが「一斉に」発音する瞬間がほとんどない。3つの楽器の音が重なっている時間はもちろんたくさんある。でも、「せーの」で合わせるようなところがない。ただし、「たまたま合ったとしても、それは別にかまわないよ」と作曲家は言う。
 譜面には大抵、上からバリトンサックス、声、ピアノの3種が並んでいる。小節線はほとんどない。時間軸は共有しているが、発音のタイミングが微妙にずれて記譜されている。どの音が支えになっているか、どの瞬間もわからない。
 
 縦軸がないだけでなく、調性もないので、ソルフェージュ能力が皆無の私にとって、「音とり」は感覚の全てを総動員しながら行う気の長い作業。初回のリハでの音合わせは、命綱なしの宇宙遊泳に似ている。そんな経験はしたことがないが、一番ぴったりくる表現だ。暗く、碧く、深い空間に放り出されて浮かんでいる。両側で、しかし遠くで2人の音が鳴っているけれど、私の声はどこで漂えばいいのか? 

 そんな私だが、相対音感でもって繰り返し練習していると、少しずつ2人の音との「空間の距離」が感じられてくる。空気の澄んだ場所に行くと「こんなに星があったのか」と驚くような。空の星は以前からそこにあったのだが。悠治さんの音の星図はいつもゆっくりと変化していて、音にする度、違う光がこちらに辿り着く。