歌になって

作曲家・高橋悠治の歌ほど「詩人」と「言葉」に対する敬意を感じる音楽はない。ひとつひとつの言葉に対する丁寧で緻密な扱い。それでいて大胆。ほんのわずかのイントネーションのゆらぎも五線の上に音符となって語られている。詩人が自身で朗読しているように。

私には詩集を読むという習慣がほとんどない。詩集を手に取るのは、実際に詩人に出会った場合か、音楽がきっかけであることがほとんどだ。つまり、歌になった状態で出会う。詩集のページをめくっていくと、音楽が聞こえてくる文字に行き当たる。「あ、これは歌になっている詩だ」と気づく。その周りにはまだ音楽になっていない言葉が並んでいて、歌になった同僚をちょっとうらやんでいるような感じ。

高橋悠治の音楽を通して出会った詩人は数知れない。そのなかでも以前から気になりながら歌曲集を歌うことに迷いがあったのが、岡真史の詩による「ぼくは12歳」だ。中学1年生の夏、自ら命をたった少年の言葉。今回、共演のピアニスト廻由美子さんに「むっちゃん、曲集を全部やろうよ!」とすすめられ歌うことになった。

イギリスの歌い手と話していたとき、彼女がある人物を評して「Old Soul」と言った。岡真史の死後に編まれた詩集「ぼくは12歳」を読んでいて、その言葉が頭をめぐった。少年はOld Soulの持ち主だったように思う。瑞々しい、老いた魂。

 

心のしゅうぜんに

いちばんいいのは

自分じしんを

ちょうこくすることだ

あらけずりに

あらけずりに・・・ 『無題』より

詩の中に息づく彼の生を、高橋悠治の音が繊細に、力強く彫刻する。

【高橋悠治ソングブック】4月3日(日)16時開演 オペラシティリサイタルホール ピアノ:廻由美子